丸亀城は香川県丸亀市に位置する、全国で現存する12の木造天守閣を持つ城の一つです。 また、日本の名城100の内の一つで別名「亀山城」または「蓬莱城」とも呼ばれます。

その天守閣は1660年に完成し三層三階で構成された高さ12mの「日本一小さな天守閣」を持つ城です。しかし、石垣の高さは日本一で約60m有り、4段階に組まれていて「扇の勾配」や「清正流三日月勾配」と呼ばれ、下側は緩やかに石を組み、上に行くとほとんど垂直となる石の芸術品です。また、忍者でも登れないと言われてきました。夕暮れ時に天守閣を堀の外から見上げると、優美な勾配を見せる石垣や、天守閣が夕日を受けてその優しさと荘厳さを併せ持つ天守閣の姿に胸を打たれます。

夜はその小さな天守閣がライトアップされているのも風情が有り城下から眺めると日本に暮らす幸せを感じます。 この丸亀城は、生駒親正が豊臣家の時代1597年に高松城を本城とし、隠居して暮らすための支城として、丸亀平野の海抜66mの亀山と言う場所に約5年かけて築いた平山城です。

その後、お家騒動にて生駒市は秋田へ転封され、その後1641年に山崎家治が、城の縄張り(城の設計の事)を改築し石垣も組み直されました。今見ることが出来る城郭はこの時代に作られたと言われています。この時に石垣を組んだ職人、羽坂重三郎の話が二の丸の井戸に伝わっています。

琴平町の石職人、羽坂重三郎は石積みの名人で、盆の上で小豆を10粒も積む事が出来るほど器用でした。また、今で言う現場監督なので作業はしないものですが、率先して上半身裸になり石を組んだので職人たちから「裸の重三」と慕われていました。石垣は見事に完成し山崎家治は「この石垣を超えられるのは飛ぶ鳥以外にいないだろう」と手放しで褒めたところ、彼は「私ならば一尺あまりの鉄棒があれば登ってご覧に入れます。」と言って器用に石垣の間に鉄棒を差し込んで登ってしまいました。それを見た家治は敵に寝返られたら困ると彼を謀殺してしまったのです。

その後、山崎家は3代で跡継ぎが居なくなり1658年に兵庫から京極氏が入封し、その時代は明治まで続きました。 明治2年(1869年)には火事に見舞われて三の丸の戌亥櫓は消失しましたが、天守閣だけは辛うじて難を逃れて今の時代まで姿を留めています。 一階北側には石落しや狭間、唐破風や千鳥破風で意匠を凝らしていて見所の一つです。 本丸からは讃岐富士と呼ばれる飯野山を正面に抱き、桜の時期は花が咲き乱れ、さらに絶景となります。