「丸岡城」は福井県坂井市に有る、柴田勝家の甥、勝豊が築城した連郭式平山城です。1576年に築城された天守は、現存するものの中では最古と言われています。丘陵に位置し五角形の内堀、城郭に囲まれて本丸や二ノ丸が建てられました。

天守の屋根瓦は「笏谷(しゃくだに)石」と言う青緑色の福井県足羽山特産の凝灰岩で、この石を使った瓦は丸岡城だけです。また、凝灰岩を瓦に使うのは珍しいのですが、寒さで凍えて割れるのを防ぐためです。2003年に国と県の補助を受けて城を修復したのですが、今は笏谷石が手に入らないので、瓦部分は割れているところを修復するだけにとどまったそうです。

天守の一重目の大きな入母屋破風や、柱や長押を白木のまま見せている工夫をしている三重目が、古式ゆかしい雰囲気を出しています。戦乱や火災の難は有りませんでしたが、1948年の福井地震で倒壊し、その後可能な限り倒壊前の建材を活用して再建されました。

別名「霞ヶ城」の由来は合戦時、形勢が不利になった時に、突如大蛇が現れて大量の霞を吹き城を敵の目から隠したという伝説によります。この地は継体天皇発祥の地で、城の有るこの丘は、天皇の第二皇子椀子(まるこ)王を葬った所と言い伝えられている為、古来は「麿留古平加(まるこのおか)」と呼ばれていました。それが丸子の岡となり、やがて丸岡と言う地名の由来だと伝えられています。その為大蛇が椀子王の化身で城のある丘を守っているのだと信じられています。

また、人柱伝説も有って、石垣の普請が進まず、神様の祟りだと言い始める者が出て、ついに人柱を立てる話になりました。そこへ城下に住む貧しい片眼の未亡人お静が人柱となる事を申し出ます。その代わり息子を士分に取り立てて欲しいと希望を述べました。お静の願いは聞き届けられ、丁重に人柱とされ埋められましたが、約束した柴田勝家が移封され約束は果たされませんでした。

お静は嘆き、大蛇となって大雨を降らせ堀から水があふれ出し「堀の藻刈りに降る雨は、いとしお静の血の涙」と謡われました。毎年卯月の頃、城の堀に浮かぶ玉藻を刈り取る頃に降る雨を「お静の涙雨」と領民は呼んで、彼女の魂を慰める為に小さな墓を建てて弔ったと言われています。

また、前出の大蛇が霞を吐いて城を守った話も、大蛇がお静の化身と言う言い伝えが有ります。身を挺してお城の人柱になったのに、簡単に落城させてなるものかと思ったのでしょうか。それとも城が有ればいつか息子が仕官出来ると思ったのかもしれません。深い母の愛を感じる悲しい話として今でも語り継がれています。