「名古屋城」は、伊勢音頭に「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と謡われ、天守に上げられた金の鯱は名古屋の象徴として思い浮かべる人も多いはずです。

別名も多く、イメージそのものの「金鯱城」「金城」や「柳城」「亀屋城」「蓬左城」などが有り、梯郭式平城の天守は、連結式層塔型五層五階地下一階で、高さは19.5mにもなり、江戸城や徳川時代の大坂城天守には及びませんが、延べ床面積では4,424.5m²と広大で、中の広間には1,759畳の青々とした大京間畳が敷き詰められていたと伝えられています。

天守は1612年に完成し、明治になってからの廃城令も逃れ、マグニチュード8もあった1891年の濃尾地震にも耐えましたが、1945年、名古屋空襲で焼失してしまいました。城の象徴、金鯱を下ろすために設置されていた足場に焼夷弾が引っかかり、引火してしまった事が原因です。

その鯱ですが、天守が竣工した時の金鯱は、一対で大判金貨1940枚分、純金で215.3kg、高さは2.74mも有ったそうです。名古屋には、「金の鯱に触れた者は必ず捕まる」と言い伝えが有ります。

江戸時代、大凧に乗って金鯱に近づこうとした柿木金助の伝説を初めに、明治以降では4回も狙われて、犯人はいずれも金を売ろうとして逮捕されています。1871年に起こった廃藩置県後に宮内庁へ献上する際、鱗が3枚盗難に遭い、犯人の陸軍名古屋分営番兵は銃殺刑に処されました。1876年には、東京博物館保管中に盗難に遭い、犯人は懲役10年、1878年は、なんと、復元作業中に盗難に遭い、犯人が陸軍兵卒で有る為、軍の機密として処理され、詳細は明らかになりませんでした。

さらに、1937年名護屋城下賜記念事業で、実測調査中の1月6日早朝、名古屋市建築局の技師が、雄の胴体の金鱗110枚のうち、58枚が無くなっている事に気付き、愛知県刑事課は報道を全面禁止し、全国指名手配しました。下賜記念事業中だった為、当時の名古屋市長が引責辞任する事態となり、注目を集め、約20日後に犯人逮捕となり、懲役10年が課せられました。鯱に触れて逃げおおせた者は誰もいません。

その鯱から由来のものが名古屋には多数有ります。まず、スタンプメーカーのシヤチハタは名古屋が本社です。1936年頃のプロ野球チームには、名古屋金鯱軍が有りました。サッカーでは、名古屋グランパス(grampus=鯱)、名古屋大学のアメフト部のニックネームも「グランパス」です。名古屋市交通局のマスコットキャラクターも金鯱「ハッチー」で、遊覧船にも鯱モチーフが使われ、競馬では金鯱賞が開催、名古屋牛乳にも鯱のマークで、他には慣用句の「しゃちほこばる」は金の鯱を見て緊張した事からが由来です。

名古屋のご当地アイドルグループも全員名古屋在住のメンバーで構成された「しゃちほこ」です。名古屋城が、そして、鯱が市民に深く愛されているのがわかります。