「岸和田城」は、大阪府岸和田市に有る平城です。別名、「岸ノ和田城」「滕城」「蟄亀利城」「千亀利城」と、多数の別名が有ります。 岸和田の名前の由来は、和泉国守護の楠木正成が甥の「和田」氏を「岸」と呼ばれていた地に派遣して城を築かせた事からと言われています。

また、本丸と二ノ丸を合わせた形が、機の縦糸を巻く器具「縢」に似ていることから、蟄亀利城(後に千亀利城)と呼ばれるようになったそうです。城内にある「岸城神社」は、千亀利(ちぎり)と「契り」とをかけて縁結びの神社として知られています。霊験あらかたと言われていて、桜の季節は花見の名所となるため人気です。

天守は、1619年に、複合式層塔型五重五階で改装され、現在は、1954年に、復興天守を見る事が出来ます。築城したのは、信濃泰義と言われていて、主に改築したのが三好義賢、小出秀政、岡部宣勝です。1871年に廃城となって、遺構は石垣や堀が有ります。 元は秀吉が紀州討伐の拠点とする為に小出秀政に命じて本格的な城へ改築させたそうです。 1827年に火災にて焼失し、再建されないまま明治を迎えました。

現在の天守は三層ですが、幕府へ提出された正保城絵図「泉州岸和田城図」では、五層の天守が描かれています。初層は千鳥破風で、後に唐破風が取り入れられました。流行も有ったようです。1827年11月20日の落雷にて消失してしまい、その後、幕府に復興願いを届出済みですが、許可がなかなか出なかったのか資金不足なのか再建されませんでした。江戸時代の城の改築は再建で有っても厳しく監視され、取り締まりされました。

岸和田城には蛸地蔵の伝説が有ります。 岸和田城から南へ徒歩15分ほど「天性寺」というお寺が有ります。 日本一大きな地蔵堂で、境内の写真の左側の石碑に蛸地蔵伝説が書いて有ります。 和田氏が岸地方に城を築いた頃、蛸の背に乗った地蔵尊が海辺に現れましたが、乱世のため厚く信仰せず、そのまま250年余りもの月日が流れてしましました。 天正年間になり、紀州の根来衆と雑賀衆が岸和田城を攻めてきて、落城しそうになった時に、たくさんの蛸と共に法師が現れ、敵を打ち破り城を救ってくれたとの事です。

法師は地蔵菩薩の化身に他ならないということで、城内に手厚く祀っておりましたが、文禄年間になって天性寺に移され、現在に至っています。本堂には蛸に乗った地蔵菩薩の絵が奉納されています。蛸に乗った地蔵菩薩というのはユーモラスで珍しいです。 天性寺の最寄駅も蛸地蔵駅と言って、地元の人たちに敬愛されているのが伺えます。