彦根城は、滋賀県彦根市金亀町に有る城で、金亀山に建っている事から「金亀城」とも呼ばれます。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は国の特別史跡で、さらに琵琶湖国定公園第1種特別地域です。

明治に入ってからの廃城令を免れ国宝の天守、附櫓、多聞櫓の他に安土桃山時代からの櫓、門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定されています。中でも馬屋は重要文化財指定物件として全国的にも稀少で名高い物です。大隈重信らの上奏により1878年に建物が保存される事となりました。

姫路城とともに遺構をよく遺している城郭で、1992年に世界遺産暫定リストに掲載されましたが、その後20年以上登録は見送られているのが残念です。「国宝彦根城築城400年」のキャラクター「ひこにゃん」の方が有名でしょうか。

徳川四天王の一人、井伊直政が関ヶ原の軍功によって封ぜられた佐和山城は、石田三成の居城だった為、直政はそれを嫌がり彦根に城を持つのが希望でした。

彼は戦の傷が癒えず逝去してしまいますが、遺志を継いだ家臣が家康と相談して建てたのが彦根城です。天下普請と言う、七カ国12大名が資金や人手を出して造った城で、壮麗でかなり大がかりな城が出来上がりました。その後も井伊氏は加増を重ねて、ついには譜代大名の中で最高の35万石を有するようになりました。

さて、彦根城にも人柱伝説が有ります。お菊と言う藩士の娘で父親が築城が進まないとこぼしていたのを聞きつけ、親孝行で人柱を志願したと言われています。人柱は若い娘が有効だとまことしやかに信じられていたのです。娘は白装束に身を包みほほえみながら人柱にされたとの事ですが、その後の彦根城では菊の花が咲かなくなったと言い伝えられています。

この伝説の後日談が有って、実は藩主直継は人柱にすると見せかけて白木の箱だけを埋めて、娘は助けられていたと言われています。人柱を進言したのは家臣で、もともと直継は反対していたからです。娘の親思いの心にうたれて、気持ちを汲んで箱だけは埋めたけれども、娘には家に帰るように説得したと伝えられています。直継が名君と慕われるのもこの伝説からよく伺えます。

彦根城は京都映画撮影村から近いため、時代劇の撮影にもよく使われ、姫路城は江戸城としてのセットで使われるけれど、彦根城はそれ以外の少し小さな城の設定とされる事が多いと言われています。 よく撮影される天秤櫓は、長浜城からの移築で、天秤のような独特の意匠となっています。

石垣は「ごぼう積み」と「落とし積み」で支えられ、二重目からの窓は華頭窓を配し、最上階に装飾の外廻り縁と高欄を付けています。他の見所は千鳥破風、切妻破風、唐破風、入母屋破風を配し、当時に思いを馳せる事が出来ます。