「松江城」は別名「千鳥城」とも呼ばれ、島根県松江市に有る全国に12有る現存する天守を持つ城の一つです。輪郭連郭複合式平山城で、今でも「松江の祖」と市民に慕われる堀尾吉晴によって1607年頃から築城されました。天守は四重五階地下一階です。城の起源は鎌倉の頃に丘陵に築かれた末次城と言われています。

堀尾氏は1600年の関ヶ原の戦いで、東軍で活躍した功により浜松城から出雲隠岐二十四万石に封ぜられました。初めは富田城に入城しましたが、立地が気に入らず今の場所に落ち着きました。城の設計で有る「縄張り」は名人、小瀬甫庵によるものとされています。

しかし、堀尾吉晴も子の忠氏も城の完成を見ずに世を去ってしまいます。堀尾氏は無嗣断絶となり、後に入城した京極氏も5年で城を去ります。そのためその後永きにわたって名君と謳われた松平氏が治世しました。

廃藩置県に伴い、廃城され当時のお金180円で払い下げられる所でしたが、出雲の豪農、勝部本右衛門や元藩士の高木権八が180円を国に納めて買い取り保存し、そのおかげで廃城を免れました。このように廃城を惜しんで奔走する当時の人々に畏敬の念を感じます。1935年国宝保存法により国宝に指定され、1950年には重要文化財となりました。

古いながらも雅やかな姿を宍道湖に写している松江城ですが、城には付きものの人柱伝説が有ります。 約4年がかりで行われた築城ですが、かなりの難工事で特に天守の石垣が何度組んでも崩れ落ちる為、人柱が立てられる事になり、城下の広場で行われていた盆踊りに集まってきた若い美貌の娘が選ばれて、娘は何もわからないまま連れて来られて、そのまま埋められてしまったと言うむごい話が言い伝えられています。

その後、盆踊りの度に城が揺れるなど祟りが有り、城主は恐れて城下では盆踊りが行われなくなりました。また、娘ではなく尺八を吹く虚無僧が人柱にされたと言う話も有ります。

また、松平直政が初めて天守に登った時に、美しい女性が現れて「この城は私の城」と言ったので、直政は「明日にでも、”このしろ“を与えよう。」と言って、三宝にコノシロと言う小魚を載せて天守にお供えしました。三宝は翌日城内の櫓で見つかって、その後美しい女が姿を見せる事は無くなりました。今は有りませんが、以前には有った「コノシロ櫓」の起源となる言い伝えです。

松平氏が入城した前後頃に天守を改築した時に、祈祷櫓を撤去してしまったので、お城の神様が現れたという言い伝えも有ります。