「江戸城」は、武蔵国豊嶋郡江戸(現在の東京都千代田区千代田)に有った城で現在は「皇居」として周知されています。江戸時代には「江城(こうじょう)」と呼ばれ、また地名から「千代田城」とも呼ばれました。上杉氏の家臣、太田道灌が改築した輪郭式平山城で、初めは小さめの城だったのですが、徳川氏によって段階的に何度も改修され、ついには総構周囲約15kmにもなる日本最大の面積を持つ城郭となりました。

その間13回もの火事に遭い本丸だけでも5回も焼失しており、修復に莫大な手間、時間と費用がかけられたと想像出来ます。徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城として使われ、明治維新後は天皇の居所となりました。吹上庭園が御所、旧江戸城西ノ丸が宮殿の敷地となり、東側の本丸、二ノ丸と三ノ丸の跡は皇居東御苑として開放され、南東側の皇居外苑と北側の北ノ丸公園は常時開放されています。

天守は1606年に造られた連立式層塔型五重五階地下一階と、その後様式を変えた独立式層塔型で再建されましたが、1657年に起こった振袖火事と呼ばれる明暦の大火にて焼失し以後再建されませんでした。

遺構として櫓や門、石垣、土塁、堀が有り、再建された建物は富士見櫓や伏見櫓、多聞櫓、桜田巽櫓、大手門が有ります。現在の東京が皇居を中心に、同心円の道路に囲まれているのは江戸城の構造から影響されています。江戸城の造りは堀と石垣で幾重にも囲まれた巨大なもので築城の名手、藤堂高虎の考えた縄張りでした。この縄張りを「総曲輪」と呼び迷路のようで軍事的に優れています。

城の中心に本丸(大奥)と天守が据えられ、それを囲むように二ノ丸、さらに三ノ丸が囲み西側に将軍の子どもや隠居した将軍が住む西ノ丸が造られています。 東京駅から江戸城へ向かうと堀を挟んで二重櫓が見えます。

宮内庁に皇居参観申し込みをしておけば中を見る事が出来るので、日本人としては是非一度参観したいものです。天守焼失後に天守の代わりとされた富士見櫓や伏見櫓は間近で見上げると圧倒されます。石垣には大火の焦げ跡が生々しく残っていて当時の様子を思い浮かべてしまいます。天守を再建しようと言う動きは当時も有りましたが、5回目の再建となり費用が捻出出来ない事と軍事的に不要だった為見送られました。 現代では費用と警備上の問題で手付かずです。

幕末、無血開城された江戸城ですが火事や戦争で何度も焼失し、その都度再建されています。天守こそ再建されませんでしたが、赤穂浪士で有名な松の廊下跡や井伊直弼が暗殺された桜田門、服部半蔵の屋敷、南北朝時代の英雄、楠木正成の像など、たくさんの歴史的見所が有ります。因みに服部半蔵は忍者だったのは初代だけで子孫は武士でした。また新年一般参賀が行われる宮殿も見る事が出来ます。 歴史の大きな局面と大火をくぐり抜けて来た江戸城は皇居として今は静かな佇まいを見せてくれます。