国宝犬山城は、1537年に木曽川沿いの高さ88mほどの丘陵に織田信長の叔父、信康によって建てられた平山城です。木曽川は流れが速く、丘陵は要害で有ったためこの地が選ばれたと言われています。

城下から見上げると丘の右寄りに鎮座していて、白い優美な姿を見せてくれます。 犬山城は日本最古の様式の天守閣を持ち、さらにそれが現存している国宝です。 天守は19mから成る望楼型、三層四階地下二階、複合式天守です。

別名の「白帝城」の由来は、李白が詠った「早發白帝城」(早に白帝城を発す)白帝城が犬山城と同じように長江沿いの丘陵に建てられている事に因んでいます。

織田家と関わりが深い城ですが、豊臣時代に小田原征伐で手柄を立てた石川貞清が拝領し、改修して現在のような城の原型となりました。この時の建築用資材は美濃金山城の建物を解体して移築したという「金山越」の伝説が有りましたが、その後の詳しい検証で移築した痕跡が全く無かった事から、現在では移築説は否定されています。石川貞清は関ヶ原の戦いでは西軍に汲みしたため武士としては没落し子孫は商人になりました。

その後、城主は1601年小笠原吉次、1607年 平岩親吉、親吉が没した後の6年間の城主の空白期間を経て、1617年尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、それ以後徳川時代を通じて9代もの永き間、成瀬家居城となりました。

そして、日本国内で唯一の個人城主、成瀬正肥氏(初代成瀬正成の子孫)所有でマスコミにも取り上げられ、城の維持費がかなり高額など話題になりましたが、2004年4月1日より所有権が「財団法人犬山城白帝文庫」へ移譲されました。

城内は1階が上段の間で城主の居間とされ、江戸時代に改装された高い床に畳が敷き詰められた書院造りです。その北側に武者隠しの間と呼ばれる城主を警護する武士の詰め所が有り、東には納戸が作られています。 2階は中央に武具倉庫が有り、東西北には武器を置く棚が設えられています。

3階は南北に唐破風、東西に千鳥羽破風の建築様式が取り入れられていて、その時代を偲ぶことが出来ます。3階は成瀬氏居城の永き間に増築されました。 また、4階高欄の間の回廊も成瀬氏による増築で、高欄と廻縁がまわる望楼となっており圧巻です。桃太郎伝説と桃には魔除けの効力が有ると信じられていた事から、瓦には桃の意匠が見られます。

2006年には日本の100名城に選ばれています。 犬山城は家康と秀吉の「小牧・長久手の戦い」の戦場となり、秀吉と家康の今後を示唆する戦いの舞台になりました。