「金沢城」は石川県金沢市丸の内に有った梯郭式平山城です。加賀100万語気と謡われた前田利家が城主として有名ですが、築城したのは戦国武将で名を馳せた佐久間盛政で、そこに至るまでは本願寺が所有していました。その起源は1471年、比叡山延暦寺の迫害を受けて京から落ち延びた本願寺第8世蓮如は、浄土真宗の布教を行う北陸の拠点として吉崎という場所に吉崎御坊を建てました。

その後1488年に蓮如が吉崎を去り、本願寺門徒達は吉崎御坊を拠点に蜂起し加賀の国を治めていた冨樫政親を滅ぼして1580年に信長に滅ぼされるまでの約100年間大いなる国力を維持し続けました。加賀本願寺は1545年に今の金沢市中心部の台地北西部に金沢御堂を教団の政庁として造ったのが始まりです。

越前で起こった一向一揆を制圧し、時流に乗っていた信長軍は加賀を攻めてきます。 それを受けた本願寺の顕如は1576年に上杉謙信と手を組み信長軍を迎え撃ち撃退しました。しかし謙信が急死してしまうと信長は柴田勝家、佐々成政、前田利家等の蒼々たる戦国武将を引き連れて加賀に攻め入りました。1580年4月、ついに金沢御堂は落ち、約100年間も続いた加賀本願寺による支配は終わりました。

ここで柴田勝家の甥、佐久間盛政が金沢御堂に配置されて戦国的城郭へ改築を始めるのです。天守は有ったとされる説が有力ですが詳細は不明です。明治に入った1871年に廃城されました。別名「尾山城」または「金城」と呼ばれます。今見る事が出来る遺構は長屋、門、石垣、土塁、堀と移築能舞台です。 2001年に金沢城跡は二ノ丸菱櫓と五十間長屋、橋詰門、橋詰門続櫓が復元されて「金沢城公園」として整備されました。

しかし一番の見所は1787年に再建された石川門です。北陸地方特有の海鼠壁に鉛で作られた白みがかった瓦が積雪を思わせ、そのコントラストは独特の風情を醸し出しています。 城内の石垣は作られた年代が違うのか野面積みや切込みはぎ、打込みはぎなど色々な手法で組まれています。石垣の石に特徴が有って戸室山で採れる名産「戸室石」で築かれた石垣は赤色と青色の配色が絶妙で美しいです。戸室石は現在「医王石」とも呼ばれています。 尾山神社の東神門は金沢城二ノ丸に有った唐門を移築したもので、珍しい桃山風御殿様式の門です。

2002年に大河ドラマの舞台となってからは「利家とまつ」縁の金沢観光コースが作られて人気の二人にちなんだ場所は観光客で賑わっています。 金沢市内の野田山には、歴代の加賀藩主が眠る加賀藩前田家墓地が有り、利家の隣にはまつが眠っています。藩主達の墓は巨大な墳墓で約10mにもなる墓も有って加賀100万石の威光を感じる事が出来ます。