「首里城」(しゅりじょう、スイグスク)は沖縄県那覇市を見下ろす丘陵に有る山城で、築城されたのは14世紀末と推測されています。別名は「御城」(ウグシク)で沖縄では城の事を 「グスク」と呼び、沖縄本島と周辺の島々に有るグスクの数は200を越えると言われています。グスク群の中で歴史的価値が高いものが世界遺産として登録され、首里城は復元されたグスクでは無く首里城跡が世界遺産となっています。

琉球王国最初の統一王朝を成立させた「尚巴志王」によって首里城は拡張、整備されました。天守は無くグスクは琉球石灰岩と呼ばれる沖縄独特の石材で造られ、城壁は総延長1080mにもなり、日本各地にある城とは全く違った中国文化の影響を感じさせます。正殿は琉球王国最大の木造建築で、至る所に国王の象徴とされる龍が配され、大龍柱と呼ばれる一対の石柱や屋根の棟の装飾、唐破風造りが見事です。

首里城と言えば「赤」のイメージを思い浮かべる人も多いですが、中国の影響を受けていると思われます。その朱色は内部の壁や天井、柱にも施され復元された御差床(うさすか)と呼ばれる壮麗な玉座は必見です。正殿の前は御庭(うなー)と呼ばれる広場で、冊封使と言う中国の使いを迎えたり大きな行事を行っていた場所でした。御庭を囲むように奉神門や南殿、北殿が造られています。今伝えられている赤い首里城の姿は三回の火災の後再建された1715年から1945年までの姿が元になっています。

1879年、沖縄県設置によって首里市へ払い下げとなり急速に荒廃が進み、老朽化も有って門などは既に取り壊され、正殿の取り壊しも検討されたほどです。しかし、伊東忠太や鎌倉芳太郎など関係者の奔走により保存が決定され、正殿の改修工事が行われて国宝に指定される所までこぎ着けました。その後沖縄神社の社殿となり、琉球へ流れ着いて子が初代琉球王になったとされる源為朝と歴代国王が祀られました。

しかし1945年の沖縄戦でことごとく破壊され、さらに首里城跡に琉球大学を建てた為、ほとんどの遺構が取り壊されました。沖縄戦では首里城や城下町だけではなく琉球王国の宝物や古文書等の貴重な文化財が破壊されてしまいます。米軍に略奪された財宝も多数有りましたが一部返還され、未だに返還交渉中の者も有ります。また近年になって尚家が所有していた琉球王国時代の資料や備品などが寄贈されて美術館で一般公開されています。

首里城の復元は市民の悲願で有り、本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年には正殿などが遺構を埋め戻す形で復元されました。総面積約5万㎡もの城郭内の見所は歓会門や瑞泉門、漏刻門、広福門が連なり、さらに右掖門、久慶門を経て城外に出ると玉陵(世界遺産)と呼ばれる巨大な王墓や円覚寺など、ゆっくり見ていたら一日では足りないほどの広さです。